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嫌な事から逃げ、プライドが高く傲慢だった僕の人生

はじめまして。
田辺正太と申します。

昔の僕は、タイトル通り残念な男でした。

2026年春現在、
会社員(配送員)として働きながら
妻と2人の子供と暮らしてる30代の男性です。

専業でアフィリエイトをしていた過去があり、
その名残で今もブログは何個か運営しています。

当ブログは、
僕が書きたいことを自由に書く為に作りました。

「自分が体験してきた事を書いて、
誰かの役に立てれば良いな。」
と思ってます。

今回は最初の記事なので、
自分の今までの事をざっくり書きます。

また別記事でも詳しく書く予定なので、
説明不十分な箇所もあると思いますが、
ご了承くださいませ。

では行きましょう!

高校時代

僕は人口5万人くらいの田舎町で生まれ育ちました。

少し山の方に行くとこんな感じ笑

特に不自由はありませんでしたが、
地元から出たいという気持ちは、
中学生ぐらいから持っていました。

田舎育ちあるあるだと勝手に思ってます。

 

家族から反対されましたが、
高校は普通科の学校に進学し、
県外の大学に行く事を決めました。

自分の家族や親戚は高卒が多かったので、
地元の商業や工業高校もしくは、
高専に行く事を勧められていました。

 

高校進学後、
乗り気ではない親を何とか説得する為に
国公立大学合格を目指し、
それなりに真面目に勉強しました。

その結果、
他県の国立大学理系学部に推薦入試で合格する事ができました。

国立ブランドが田舎では本当に凄くて、
進学についてはあっさり認められ、
むしろ褒められる毎日でしたね。

ただし、
仕送りの金額は毎月5万円(全ての費用を合わせて)と決められたので、
授業料は奨学金を毎月5万円(年間60万円)借りて支払う事にしました。
(年間の授業料が丁度そのくらいだった。)

 

さて、
すでに僕は2つのミスを犯してます。

まぁミスと呼べるものではありませんが、
今の年齢になって後悔している部分です。

1つ目は、大学・学部を適当に決めた事です。

なんとなく理系科目が得意で、
高校の先生に勧められるがままに
大学と学部を決めてしまったのです。

入学前の時点で、
進学する大学に思い入れはありませんでした。

 

2つ目は、進学が目的(ゴール)になっていた事です。

県外の大学に行きたい」としか考えていませんでした。

しかし、
大学とは目的(ゴール)ではなく、
目標(通過点)のはずです。

偏差値だけで見れば、
多少いい大学に入学できたので、
その後の人生はどうにかなると
潜在的に勘違いしていたのでしょう。

この辺りの話はまた後日。

大学入学、嫌な事から逃げ出す

大学に進学してからは、
一人暮らしになった事もあり、
かなり自由に過ごしていました。

バイトして、遊んで、麻雀して、授業は半分寝てて…

みたいな感じです。
特に書く事がないです。

皆さんが思い浮かべる大学生です。

 

大学2年生(二十歳)の時、
アフィリエイトに出会いますが、
結果が出ずにすぐやめました。

楽天とかAmazonのアフィリエイトをしていました。
まぁ見事に全然ダメでしたね。

※アフィリエイトをものすごく簡単に言うと、商品やサービスを紹介するネット広告

 

そうこうしながら大学3年の夏休み前になりました。
(現役合格だったので21歳になる年の7月とか8月)

理系学部の生徒は、
研究室を選ぶ事になります。
時期は大学とか時代で違うのかな…

結論から言うと、
それまでの成績が良くなかったので、
希望の研究室に入る事は出来ませんでした。

希望と言ってもね、
やりたい研究とかなかったから
楽なとこに入りたかっただけ、、、

同時に就活も近付き、
周りの雰囲気が少し変わったような記憶もあります。

 

僕が入る事になった研究室は、
「ガチ研」とも呼ばれていた研究室で、
厳しい事で有名でした。

教授はもちろんですが、
修士課程や博士課程の先輩が嫌で嫌で嫌で嫌で、、、

僕は大学に行かなくなったんですね。

行かなくなっちゃったんですよ。

いい年して不登校です。

この時はまだ自覚ありませんでしたが、
僕は嫌な事から逃げ出す性格のようです。

 

そして、このまま本当に逃げ出してしまうのです。

大学休学という選択

3年生の冬休み明け、
テキトーな理由で大学を休み始め、
4年生になる4月から大学を休学しました。

休学している間に先輩が卒業して、
その後に復学するのが僕の作戦でした。

浅はかですねー

親には、
「やりたい仕事が思い浮かばない。」
とウソを付いてしまいました。

本当に最悪です。
この時の事は今でも後悔してます。

また別記事にしたいと思ってます。

 

こうして僕は、
世間的には大学生ですが、
一人暮らしの半ニートみたいな生活を始めます。

貯金もありましたし、
学生の特権で色々と免除されていたので、
週2日ほど飲食店のバイトに行くだけ。

昼頃に起きて、
アニメを一気見して、
ゲームして、
大学やバイト先の友達と遊んで、、、

すごい生活だったな。

 

でも徐々に貯金がなくなりますよね。

ここで、
アフィリエイトを思い出して色々と調べ、
今はYouTubeで活躍されている方の動画をキッカケに本気でアフィリエイトを始めました。

これが22歳になる年の夏から秋頃です。

現在まで、まだまだですね…

長くなりそうです、すみません。

 

さて、続けますが、
僕が取り組んだのは、
トレンドアフィリエイトというものでした。

ブログを作って、
その時のトレンド記事を書いて、
そこに広告を貼るというシンプルなアフィリエイトです。

トレンドを記事にするので、
集客が難しくないというのが特徴です。

その代わり、
中身がないサイトとかGoogleに言われて、
検索エンジンからよく飛ばされていましたね。

よくあんな事してたわ。

トレンドアフィリエイトは、
ブログに広告を貼って収益をあげるので、
大きく分けるとブログアフィリエイトです。

この2つの言葉が出てくると思いますが、
トレンドアフィリエイトはブログアフィリエイトの一種だと考えて下さい。

と言いますか、
全く気にせず読んで頂いて問題ないです。

 

割と真剣に取り組んだので、
年末年始頃には月に3〜5万円くらいの収益があったと記憶しています。

そして23歳になる年、
2年目の休学を申請して、
アフィリエイトに集中しました。

詳しくは別記事で書く予定ですが、
この年の冬頃にはアフィリエイトだけで、
月収20〜30万円あったはずです。

信じられない気持ちは分かります。

信じなくても大丈夫です。
僕は自分の実績を大きく見せて、
誰かにアフィリエイトを勧めたり、
情報商材を売ることは絶対にありません。

最初の記事なので、しっかり断言しておきます。

 

本題に戻りますが、
この頃は本当に勘違いしており、
自分を天才だと思っていました。

トレンドを扱うブログが2つ、
ジャンルに特化したブログを2つ、
メインで4つのブログを運営しており、
それなりに安定しているつもりでした。

その後の目標として、
アフィリエイトの実績をしっかり作って、
稼ぎ方を教えて、情報商材を売って、
収益を自動化して、不労所得を作り、
月収100万を超えたら東京に住もうと考えていました。

本当にバカだな、、

その時の自分を思い出すと涙が出てきそうになるよ。

 

それでも上手くいくときは上手くいく。

この年の年末年始、
ある記事がバズりにバズって、
アフィリエイトの収益が40万ぐらいありました。
(12月も1月も)

ここで僕は大学を辞めて、
専業アフィリエイターになる決心を固めます。

さらに、
大学1年から続けていたバイトも
時間の無駄だからと辞めてしまいます。
(他に短期のバイトはした事ある)

自分で言うのもおかしいけど、
僕は周りの人間に恵まれてます。

辞めると伝えたとき、
「シフトに入らなくてもいいから籍だけは残してもいいよ。
たまに賄い食べにおいで。」
と心配そうに言ってくれてました。

けど、僕は傲慢になってたんですね。

絶対に成功するからそんな必要はないと。

こんな傲慢な人間が成功なんてするはずないのに。

大学中退、そしてフリーターへ

24歳になる年の4月、
遂に僕は大学を自主退学しました。

家族に申し訳ない気持ちはありましたが、
絶対に成功すると思っていたので強引に押し切りました。

しかし、
数ヶ月前の年末年始を境に
アフィリエイトでの収益は減り始めました。

一番の理由は、
あのバズった記事のブログが、
検索エンジンから飛ばされた事です。

何度も飛ばされた事はありましたが、
そのブログはかなり気を付けていたので、
ショックで仕方ありませんでした。

さらに追い打ちをかけるように、
住民税や国民健康保険の請求で
目玉が飛び出そうになりました。

前の年に急に稼いだので当然です。
(所得税と国民年金はさすがに想定内)

 

アフィリエイト収益は減り、バイトも辞め、支出は増え…

けど、諦めきれなかった僕は、
自分への投資と信じて情報商材を買い、
その費用や生活費をクレジットカードで支払った挙句、
リボ払いに手を出しました。

正直に打ち明けます。

この時の僕は、
インターネットビジネスを知らない人を
情弱だと心の中でバカにしている部分がありました。

そして、自分は限られた人間の一人だと。

けど、本当の情弱は自分だったのです。

嫌な事からは逃げ出し、
根拠のない自信で大学を辞め、
人の思いやりを無視してバイトも辞め、
プライドだけは高く誰にも相談できず、
自己啓発やマインドセットだけは一丁前

この時の僕は変な奴だったと思います。

 

そうゆう期間がズルズルと続き、
ブログアフィリエイト以外にも手を出しましたが、
全く当たる気配はなく、
約1年の時が流れました。

 

25歳になる年の春から夏にかけて、
いよいよクレジットカード3枚の限度額(たぶん合計100万くらい)が近付いてきました。

この時は月の収益が10万いくかいかないか…

成功すれば一瞬で払えると思い続けていましたが、
さすがにもう無理です。

僕はアルバイトをする決意を固めます。

もし、
この時の僕と同じ状況だったら、
あなたはどうしますか??

今の僕なら正社員として就職を考えたかもしれません。

バイトをするとしても
例の辞めてしまったバイト先を頼るという選択肢もあります。

ブランドが高く、
まだ成功する事を夢見ていた僕は、
どちらも選択する事ができず、
新しくバイトを探し始めます。

けど、
腰が重くて重くて…
30キロの重りでもぶら下げてるのかと思うくらい。

バイトに応募するのも嫌だし、
ほとんど人と会わない生活だったので、
まともに喋れるかも不安でした。

それでもやる時はやるのよ。

何個か面接を受けて、
大体のとこから内定を頂きました。

けど、

面接官の態度が嫌だった。
雰囲気が悪そう。

とにかく自分に言い訳ばかりして、
辞退を繰り返しました。

行動している自分に満足して、
その間にアフィリエイトが上手く行くかもと
淡い期待をしてた気がします。

まぁこれから先、
僕のアフィリエイト収入が増える事はありませんけど。

 

ここで1つエピソードを聞いて下さい。

大手の漫画喫茶の面接(バイト)を受けに行った時の事です。

面接官は30歳ぐらいと45歳くらいの男性でした。

45歳ぐらいの男性が店長、
30歳くらいの男性がエリアマネージャー(役職違うかも)。

年下の男性が上司で、
面接をしているうちに大卒だと分かりました。

店長は年下のエリアマネージャーに
かなり気を遣っていたと記憶してます。

店長が高卒かは分かりませんが、
自分の将来を見ているような気分になりました。

面接の中でお約束の質問がありました。
なぜ大学を辞めたのですか?
幾度となく聞く言葉です。

僕は、
「フリーランスとしての仕事に集中する為です。」
と答えました。

全くの嘘ではありませんが、真実とは言い難い…

その答えに追及はありませんでしたが、
エリアマネージャーからは、
親に申し訳ないという気持ちはあるのか?
と尋ねられました。

言葉では「あります」と答えつつ、
何でそんな事を言われないといけないのかと思いました。

そう思った僕はやはり傲慢なのです。
相手の疑問は正しい。

あのエリアマネージャーは優秀なのだと思います。

バイトの面接は、
かなりの確率で合格していましたが、
ここは不採用となりました。

当時の僕の本質を見抜いていたのでしょう。

 

本題に戻ります。

バイト探しは続き、
飲食店とコンビニの夜勤の2つを掛け持つ事にしました。

お金が必要だった事と、
2つとも店長が凄くいい人だったので、
断りづらいというのが理由ですかね。笑

まぁ良くも悪くも、僕は単純で、
人の期待には応えたいと思うタイプなのです。

こうして私、田辺正太25歳になる年の秋、
フリーター兼アフィリエイターとなり、
成功を夢見て再出発となりました。

この飲食店でのバイトが、
僕の人生を大きく変える事になりました。

あまりにも長過ぎるので、
ここから現在までは次の記事にします。

全部読んでくれてありがとうございます。

続きです。

辛くても、遠回りをしても、前を向いて生きていれば大丈夫だよ。
こんにちは、田辺正太です。前回は途中で終わってすみませんでした。久しぶりにあんな文字数書きました。正直、めっちゃ楽しいです。稼ぐだめにブログに記事を書いてた時にはない感情です。今回も自分の事をざっくり書きます。次回から真面目にやります。

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