こんにちは、田辺正太です。
親と喧嘩して気まずくなる事ってありますよね。
このブログで何度も書いてますが、
僕は大学中退を反対され言い合いになり、
喧嘩別れして疎遠になった過去があります。
頼りたいと思ったこと、
関係を戻したいと思ったこと、
何度もありました。
その時は、
プライドとか意地が邪魔をして、
行動が出来ず、時間だけが過ぎました。
正直な話、
「一生関係が戻らないかもしれない。」
と考えた事もあります。
結果からお伝えすると、
現在はかなり良好な関係となっています。
今回は、
険悪で疎遠だった状態から
どのようにして関係が変わったのか。
そのキッカケと過程をお伝えします。
※僕の場合です
僕の詳しいプロフィールは、
最初の自己紹介記事で確認して頂ければと思います。

この記事は一応前回の記事の続きです。

読んでいなくても分かる内容です。
先に結論
最初に結論からいきましょう。
喧嘩して疎遠になった両親との関係が戻ったキッカケ。
それは、今の妻を紹介した事です。
結婚するにあたって、
当時は彼女だった今の妻を連れて帰り、
両親が妻の事を気に入ったのがほぼ全てです。
その後、
両家の顔合わせなどもありましたが、
僕の両親は妻がいる時は常に上機嫌でした。
本当に理由はよくわからんけど。
それでも僕と両親の間には、
微妙な空気感があったんですけど、
結婚して約1年後に長男が誕生し、
そこからは昔のような関係性に戻りました。
ここからは、少し時を戻しましょう。
喧嘩から疎遠へ

僕が24歳になる年の4月。
僕は大学を辞めてフリーランスとなりました。
前の記事でも書いてますが、
大学を辞めるという話をした際に喧嘩となり、
最終的には僕が押し切る形で中退となりました。

「ネットビジネスをやりたい。」
というのもダメだった要因ではあります。
それからは連絡を取るのも面倒になりました。
年に数回は帰省していましたが、
親からも連絡がなかったので、
この年は帰りませんでした。
※他県で暮らしています
年明けに電話で挨拶をして、
生きている事だけ伝えました。
電話しても、
父親は素っ気ない感じで、
「たまには帰ってこい」とか
そうゆう言葉を少し期待していた自分が
恥ずかしく思ったような記憶があります。
本来なら僕が謝るべきなんですけど、、、
まだ若かったのと、
この時期はネットビジネス(アフィリエイト)の収益が減っており、
心に余裕がなかったですね。
約5年間の疎遠
過去の自己紹介記事でも書きましたが、
僕はネットビジネスでの成功を夢見て、
フリーランスとなりましたが、
徐々に収益が減りフリーターとなりました。
バイトをしながらアフィリエイトを続け、
いつか訪れる成功を待ち続けていました。
生活は非常に厳しく、
クレジットカードのリボ払いなどにも手を出しました。
その支払いや奨学金、保険料や税金など、
お金に困る日々でしたが、親に頼る事は出来ませんでした。
大学を辞めた後ろめたさ
喧嘩別れした気まずさ
無駄に高いプライド
何度も何度も、
母親もしくは祖父に
「こっそりお金を貸して欲しい」と頼もうかと思い、
スマホの発信ボタンを押す寸前までいきました。
それでも僕が両親(家族)を頼る事はなく、
その当時の僕の状況を現在でも両親は知らないままです。
妻が勝手に話していない限り(笑)
そんなこんなで、
年明けに挨拶の電話をするだけで、
全く顔を合わせない日々が続きました。
この疎遠の期間、
僕は意地を張り続けて何もする事が出来ませんでした。
本当に何もしてないので、書ける事がないです。
唯一したのが年明けの電話だけです。
自分自身や両親と向き合う事が出来ず、
自分の夢を追うことだけに必死になり、
時間だけが過ぎていました。
その期間が5〜6年。
キッカケその1
僕が28歳になる年の10月、
彼女(妻)との未来の為に夢を諦めて今の会社に就職しました。
(疎遠になってから4年半)
妻を理由にしていますが、
本当は僕自身もネットビジネスから解放され、
普通の人生を歩みたいと心の底で思っていました。
29歳の時にプロポーズし、
遂に自分の親に会わせる事になりました。
めちゃくちゃ嫌で、不安で不安で仕方ありませんでした。
なに言われるか分からんし…
母親に電話して
「結婚したい人と会ってほしい。
連れて行くから時間を作って欲しい。」
と伝えました。
母親は信じられないくらい上機嫌で、
数時間後には「週末ならいつでもいいよ」と返事がありました。
当日、
もちろん緊張していましたが、
妻も僕と両親の関係を知っていたので、
もの凄く緊張していました。
なので、
「自分がしっかりしないと」と思った事をよく覚えています。
それに、
妻の両親と初めて会った時の方が緊張していたので。
実家に帰った時、母親が出迎えてくれました。
母は、
朝出た息子を出迎えるかのような感じで、
僕に対しては何もありませんでした。
妻にはめっちゃ丁寧でしたね。
父は僕には無愛想でした。
「この親不孝者がよく帰ってきたね。
謝罪の一言でもあるよね?」
みたいな顔してました。(笑)
勝手に自分がそう思っただけですが…
挨拶は普通に終わり、
父と母は妻の事がすぐに気に入った様子でした。
この日は僕の実家で、
4人でご飯を食べる事になりましたが、
僕の大好物のすき焼きが用意されていました。
ご飯ができるまで、
妻を実家の自室に連れて行き、
2人っきりになった時に僕は泣きました。
恥ずかしながら事実です。
すき焼きを食べ、妻と両親は和気あいあい。
僕は父とビールを飲み、謝罪しました。
父の返事は、
「男にはそうゆう時もある。
けど、結婚するなら責任を持って生きなさい」
でした。
涙を堪えるのに必死でした。
この段階では
子供の時のような関係までには戻っていません。
ただ、普通に会話できるようになりました。
この後に両家の顔合わせなどがありましたが、全て順調に行きました。
少しずつ距離が縮まる
両家の顔合わせやら、
僕と妻が同棲を始めるにあたって、
両親と会う機会や連絡を取り合う事が増えました。
なので、自然と距離が縮まりました。
期待していませんでしたが、お祝いもしっかりくれました。
いつの間にか親同士も仲良くなっていました。
僕が知らない父の話を義父から聞くみたいな(笑)
※義両親は僕たちと同じ都道府県に住んでいます
こうして、
僕が30歳になる年の初夏に入籍する運びとなりました。
もう1つ大きなキッカケがあります。
キッカケその2
入籍した年の秋から冬にかけて、妻の妊娠が発覚しました。
母親は自分のことのように大喜びでした。
少し前まで疎遠だったとは思えないくらいに。
妊娠中は一度だけ帰省しましたが、
それはそれは妻の事を丁重に扱っていましたね。
僕は、のけ者です(笑)
長男が誕生して少し落ち着いた頃、
僕は両親に自分たちが暮らす都道府県にある少しいい旅館の宿泊券を贈りました。
もちろん、
「孫を見に来て欲しい」と添えて。
これで完全に雪解けです。
数年後に次男が誕生した時は、
自分たちで予約して泊まっていました。(笑)
現在は普通の親子関係に戻っており、
年に数回は会っています。
僕の2人の息子たちの事を愛してくれています。
今になって思う事
本当に心の底から思う事は
「早く謝って関係を修復しておけば良かった」です。
それ以上でもそれ以下でもありません。
ただ、
若い時の僕が謝っていたとして、
そのまま関係が戻っていたかは分かりません。
「妻(彼女)を紹介する。」
という大きなキッカケがあり、
両親が妻の事をかなり気に入った。
ここに尽きると思います。
「自分たちの対応のせいで、
この子が嫌な思いをしたら可哀想…」
などと考えた可能性はありますよね。
なので、
早く仲直りしておけばよかったと思う反面、
自然に訪れたキッカケを待って正解だったと思っています。
無理に修復しようとして失敗した方が面倒くさいです。
両親との関係を修復したい人へ
親と子供というのは意外と難しい関係です。
お互いによく知っているからこそ
理解できる部分もありますし、
引けない部分もあります。
本当に疎遠になった僕が思う事は、
「今、気まずくても大丈夫。」
勢いで「縁を切る。」とか
そんな言葉を口にしていない限り問題ないです。
早く解決したいなら、
素直になり、その気持ちを伝えれば大丈夫です。
自分の親なのですから。
僕も両親と疎遠でしたが、
少なくとも母親はそんなに怒っていませんでした。
(表面的には)
電話をしたら普通の対応でした。
なかなか気まずくて、
僕のように素直になれないならタイミングを待ちましょう。
時間が解決してくれるかもしれません。
僕のようにキッカケが訪れるかもしれません。
そのキッカケ(チャンス)を逃さない事が
仲直りの近道だと僕は思っています。
それでは今回はこの辺で。

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